■2010.08.16世界一企業をつくるイチローモデル■2010.06.29「体調不良からの脱出」■2010.05.21「論語の一言」■2010.04.28「真の教育改革とは」■2010.04.16『論語の一言』を語る■2010.03.254月19日発売 『論語の一言』 田口佳史著■2010.07.23いまこそ世界一を目差そう■2010.02.22「整理整頓、応対辞令、出処進退」を磨く■2010.01.27「思想を使い分ける時代」■2010.01.05「今年の要点は何か」■2009.11.30「自然力の経営が主流になる」■2010.08.30自然に身を任せる(老子の教えより)■2010.08.05空(から)っぽの素晴しさ(老子の教えより)■2010.03.18「感謝は奇跡を起こす」(老子の教えより)■2010.01.19「もっと自由に、もっと自由に」(老子の教えより)■2009.12.25「止めたい時が伸びるとき」(老子の教えより)■2009.12.04「生きているだけで100点」(老子の教えより) |
いま私が思うこと「教育改革とは何か」
2009.12.01「有教無類」という言葉が論語に出てくるが、考えてみればこれほど恐ろしい言葉はない。「教え有りて類なし」とは、人間の様々な格差は、いつにかかってその人が受けた教育によるというのである。それでは教育とは何かといえば、「天命之謂性、率性之謂道、修道之謂教」という。人間が生まれて来るについて天がそれを了承し、それではと持たせてくれたのが性、これ無くして人間にあらずというものである。人間性といっても良い。理性といっても良いが、我々漢籍を読んで来た者は「性命」という。生命と天性である。この生命と天性が宇宙の根源と唯一つながっているものであるから、これこそ真に大切にしなければいけないが、現代はこんな重大なものを軽んじている。これこそが現代の教育の弊害であろう。先に進もう。その人間である証拠というべき人間性に従って生きることを「道」という。道理といっても良い。道義といっても良い。人道といっても良いが、人間生きていく上での根本である。この道を修める。つまり修得するとは、体得すること、いつ何時であろうと自分から離れることの無いまでに血肉にすることをいう。これを教育というのである。これが人間の教育の基本であり、第一歩であるとして、江戸期の家庭教育、学校教育はこの徹底から始まったのである。何故いまこれを教えないのか。戦後は既にこの理念はない。戦争中は勿論無い。したがって、こんな事を知っている人がいないから議論にもならない。だから無い。無いからいまこうしている時も誰も子どもに教えていない。実に恐ろしいことなのである。人間としての基本を教えられることなく、なんとなく大人になってしまっている人の社会、無規範社会の恐ろしさを叫び続けて20年。いまだ援軍来たらず。孤軍の戦いを終えられる日はいつのことか。 「自然力の経営が主流になる」
2009.11.301995年ぐらいから、私が最も情熱をもって考えているテーマに「21世紀型経営思想」があります。40数年老荘思想に生きて来た自分の生き方が深まればふかまるほど、企業の在り方が人間にとってどんどん「無理を強いる」方向に行っている様に思えてなりません。無理を強いることを、理想の追求として捉らえ、苦しく無理があるからこそ理想なのだといっている様な気がしてなりません。西洋近代合理主義思想の行き詰まりにより、方向性を失った感がある経営思想に、これが在るべき姿といわんばかりに登場したのがグローバル資本主義であり新自由主義でありますが、これらがリーマン・ショックにより一挙に崩壊してしまった現在、やはりもう一回「人間性経営学」ともいうべきもの、あるいは日本社会の伝統に根ざした経営思想を主張するべき時の様に思うのです。1998年に発表した「老荘思想的経営論 タオ・マネジメント」も数年後英語版が米国の出版社により米国で発表され、大きな反響を頂戴しましたが、いままた社会から強い要請が下されている様に思います。当然「タオ・マネジメント」を進化させたものであり、更に強く老荘思想の主張を盛り込んだものとなります。その要点は「この世の中の自然力と人間及び人間集団が保有する自然力」を如何に発揮させた企業ということです。雑草は何の人工的な補助も援助もなく繁茂し続けます。そのパワーは何なのでしょう。当然企業活動においてもこれは最も活用するべき経営資源なのですが、現在は全く重要視されていません。人間も当然のこと淒い能力を保有していますが、その持てる能力の90%を発揮することなく墓場へ向ってしまうといわれています。これら社会と人間の保有する自然力を如何に発揮させるかといえば、その最大の活用エンジンは「一致=MEET」ということなのです。そこに登場する要素を総て配列させ、一時に一致させることこそがマネジメントということになります。天あるいは老荘でいう道(タオ)と社員と市場と顧客を一致させることにより、各々の持つ自然の力が一致して驚異的な力が噴出します。政治も芸術も農業もそうしたもので、一致が完璧なものであればあるほど選挙の得票は驚異的になり、ライブコンサートの盛り上りは最高度になり、収穫はこれまでの常識をくつがえすものとなります。老荘思想がやがて道教となり民間信仰や民間療法として通俗的ないかがわしいものにつき進んでしまったのも、逆にいえば、このメカニズムを持っていたからです。道教に行く前の老荘思想の持つ純粋な自然力の活用の要点、更に道(タオ)イズムの持つ宇宙からの視点によるエネルギーの活用などを実証的な論考を繰り返えしつつ、少しずつ少しずつ明らかにしていきたいと思います。「褒められ続けた人生」(老子の教えより) 2009.11.27生きていくということは、そんなに簡単なことじゃない。したがって、嫌なこと、苦しいことが押し寄せて来るよ。それが人生だといってもいい。そこで、そういう事の対処法を知っておくと便利なんだよ。押し寄せて来ることを毎回毎回全部まともに正面からがっちり受け止めていたんじゃ、身がもたん。 そこで時に心がけたいのが「かわす、いなす」ということだ。かわすとは、身をひるがえしてさけること。いなすとは、よそへゆかせることだ。これは相当理不尽なことだ。いわれなき誹謗、中傷だと思ったら、この「かわす、いなす」に限るよ。すっと身を半身に開いて避けてしまうのも生きるコツだよ。 しかし、信頼のおける人からの忠告や親や兄姉からの叱正は、正面からしっかりと、まともに受けて反省し、自己向上、欠点是正の糧にしなければ駄目だよ。そして重要なのが一日の終り、就寝前の過ごし方だ。この時は必ず「自分を褒める」ことをやってほしい。一日を朝から今まで、映画でも見る様に一コマ一コマかえりみて、少しでも良いところを見付けたら「えらかったぞ、よくやった」と真心から褒めてやる。そうすると、まず一日の行動が変ってくる。褒められる様にほめられる様に過ごすようになるものだ。例えば、もうこの辺で止めようかという時、あと三十分、あと三回頑張ってみようというようになる。そうなったら大いに褒めてやる。例えば怒り易い自分が、懸命に耐え、我慢して怒らずに終らせたとすれば、「えらい!淒いぞ。よくガマンした!」と大いに褒めてやって眠る。夢見がいいから、目覚めがいい。また褒められるネタづくりの一日が始まる。 こうして毎日自分を褒め続ける。どうしてか。自分も褒めない奴をどうして他人が褒めるものか。それにこうして暮していれば、人生の終りに、「あなたの一生はどの様な一生でしたか」と問われたら、「褒められ続けた人生でしたよ」といえるじゃないか。 |