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世界一企業をつくるイチローモデル
2010.08.16日本の財政再建の決め手は、やはり税収を如何に上げるかにあります。その為には当然の事ながら日本経済も一段と活性化させねばなりません。 ではその有効策は何かということになります。 夢があって意欲的になれて、しかも可能性も大きいというプランでなくてはなりません。 そこで出てくるのが、様々な分野領域で「世界一企業」を日本の中から輩出させてはどうかというアイデアです。 世界に冠たる世界一企業が日本の中から続々と誕生し、世界に対する貢献度が増加するということは、当然日本の経済の活性化を生むだろうし、何しろ若人達に将来に対する夢を与えることになる。 とても素晴しいのではないかと思うのです。 そこで問われるのは、何といっても世界一になる為の戦略です。 そこで何か画期的な有効策はないだろうかと、あれこれ思考を巡らせてみました。 そこで気付いたことは、実際に世界一の存在になった日本人、あるいは日本企業に学んでみたらどうかということでした。 何かセオリーを見出せないだろうか。 いろいろな企業を考えてみましたが、普遍性を保有している成功例はなかなかない。 そこでやはり、これこそと焦点が当ってくるのが「イチロー」です。 これほど日本人の特性を活かして世界一に到達した人はいないのです。 そこには日本人ならでは、あるいは日本人の強味を活かした世界一企業へのプロセスが見出せるのではなかろうかと思わせるものが、確かにあるのです。 そこで「イチロー研究」がスタートしました。 イチローに関する書物をあらかた集め、熟読してみたということです。 そこでつくづく痛感させられたことがあるのです。 何とこれほど「老荘思想」を旨く活用して、一流選手になった人はいないのではないか。老荘思想の本格的応用では、この人に優る人はいないと断言出来るほどなのです。 増々興味は高まるばかりです。 老荘思想を40数年扱って来た、いや、老荘思想で生きて来たといえる私からいっても、こんなに見事に老荘思想を活用しているケースはないと思うのです。 そこで、少々遠回りをする様ですが、ものの本質を明確にする為にも、「イチローを老荘思想で解明する」ことをまずやってみようということになりました。(つづく) 「体調不良からの脱出」
2010.06.293月以降様々な要因から急激に体調が悪くなり、5月の連休に集中的に様々な治療を施(ほどこ)して挽回を計るも、更に悪化し、膨満感と腰痛、風邪と疲労感等に悩まされて来ました。老荘思想は「自然のまま」をよしとして、そのまま引き受けることと説いているので、これも何かの足しになろうかと日を送って来ました。 陰あれば陽あり。 禍あれば福あり。 霧も大分晴れて来たかの様に思います。 元気とは何か。 宇宙の根源「道」に通じることです。 そのコツがこの間の体調の悪化により、明確に把握出来た様に思います。 苦あれば楽あり、です。 イチローにもスランプありです。 スランプこそ更に一段高い境地を知らせてくれるものです。 ほんとに有難い。 「道」と通じるコツを一言で表現すれば「無」です。 一日の中で一回必ず、無の境地になって道と交通することが大切です。 この時間が実に心地好いもので、自分を忘れるからこそ、真の自分に気付く時です。 旨く生きるとは、この時間を保有し続けることでもあります。 人間が生きて行くということは、肉体の保持ということでもあります。 それは精神と肉体の一致ということでもあり、これがバラバラになってしまうのが病気という状況です。 「無」こそが、この精神と肉体を一致される唯一無比の善い方法です。 もう一段と「無」に向ってつき進もうと思っています。 その結果についてはまた順次報告を致しますので、相変らずお付き合い下さいます様、お願い致します。 「論語の一言」
2010.05.21「どうせ××するのだから、楽しくやろう。」××のところに、例えば食事、打合せ、仕事、出張など、好きなものを入れてもらいたい。 どうだろう、こうした精神を忘れてはいないだろうか。 江戸期の人々は、実にこうした精神に溢れて暮していた。 「どうせ生きてるのだから、楽しくやろう。」 したがって着るものも、「裏は花色木綿」であり、仕事の道具や用具にも、何か一つ心をほっとさせる文様などが施されている。 億劫がらずに楽しむ為に工夫する。 「楽しく暮さなきゃ損」こうした生き方の基本には「論語」の説く教えがあった。 「論語」は、楽しむ為には苦しさから去れといっている。 苦しい事を作らない生き方こそがコツで、様々なケースとその対処法が親切に示されている。 人間が苦しむことの大部分は、人間関係のトラブルにある。 親兄弟はいうに及ばず、親戚縁者から、隣り近所の住人、職場の同僚、上司、部下、果ては小学校や中学校時代の友人に至るまで、揉め事、争い事のタネは尽きない。 特に家族間、夫婦や親子の間は、一旦関係が拗れると問題は深刻である。 「骨肉相食む」という恐しい熟語もあるぐらいで、こんな問題を抱えていながら、楽しく暮すなど有り得ない。 徳川家康が自分の治政を何とか成功させたいと思い、それは大方の国民が「自分は幸せだ」と思うことにあるとした。 そこで社会の基軸に据えたのが、「論語」を代表とする儒教である。 その象徴的人物が近江聖人「中江藤樹」で、藤樹は親孝行で有名であるが、骨肉の争いにならない最大の条件は、親孝行にある。 まずこれであれば、親子間のいざこざは起きない。 更に孝行息子や娘の兄弟姉妹は、長幼の序が明確になるから争い事など生じない。 そうした家庭が多くなれば、嫁も孝行娘が来るだろうし、義父母に対しても孝行を尽す婿になるから、ここでも問題は起きない。 結婚による他家との結び付きもこの様であるから、トラブルは生じない。 次に藤樹は「明徳」の重要性を説いている。 この本義は「自己の最善を他者に尽しきること」としている。 こうした精神が身に付いている人間に、隣り近所や職場の上司、部下、同僚との間に悶着など起きようはずはない。 結局、こうして「良い社会」が築けるとした。 家康の炯眼恐るべしであるが、その背後には「論語」の教えがある。 現代日本社会ほど暮し難い場所はない。 親族は他人の始まりだし、他人を見ればドロボーと思えといわれる。 何事も「効率」一点張りの世の中で、楽しんで仕事するなどという余裕はない。 時間は稼ぐ為にあるといわれ、寸暇を惜しんで金儲けに狂奔し、同僚との売上げ競争に一喜一憂する。 稼いだ人間が勝者といわれ、稼げない人間は敗者といわれる。 この様に金銭物質至上主義の社会の真っ只中に生きているのが、我々現代日本人なのだ。 そこでどうするか、である。 いまのまま、死ぬまで勝者敗者の争いの中で生きる社会を宜しとするのか、人間らしい暮し、「どうせ生きているのだから、楽しくやろう」が手中に出来る社会にするかだ。 その選択をすべき時がやって来る。 その時の為、家康が理想の社会を求めた「論語」を、しかも現代の様々な問題の解決策を求めるという視点で語っているこの本を、読んでもらいたいのである。 |