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ここ2、3年の注意事項
2010.01.15中国古典五経の一つ「易経」は、一見難解で取り付き難いが、ごくごく簡潔にいえば、この宇宙の仕組みを解き明かし示しているものである。複雑多岐に渡る構造から成り立っている宇宙が、理路整然と運行され、何の混乱も生じていないのには、一定の法則があるからである。我々人間も、いってみればこの宇宙の中に住む一員であるのだから、この法則の範囲外にあるものではない。ということは、円滑に自己の運行、これを人生というが、これを行う為には何といっても易経の説くこの法則をマスターすることが必要となる。マスターすれば、「予測」「予知」が可能になるから備えることが出来る。対処することが出来る。更に避けることさえ出来るのである。したがって孔子も「論語」で「五十にして以て易を学ばしめば、以て大過無かるべし」と言っている。前置きはともかくとして、その「易経」から見たここ2、3年の注意事項を挙げておこう。 2009年節分から2010年節分まで(主に2009年) 革命的変化の年で、この年で自己変革を行っておかないと3年後生き残れない。 2010年節分から2011年節分まで(主に2010年) 前年の自己変革が価値になる年。自己の価値化を行うべき年。 2011年節分から2012年節分まで(主に2011年) 自己の価値化に続き、実力を発揮する年。つまり実力が無いと何も出来ない。 したがって殺傷事件が多くなる可能性がある。 2012年節分から2013年節分まで(主に2012年) 新(21世紀人間)と旧(20世紀人間)とを区分される年。 したがって新旧格差の年を生き残る為にも2009年、2010年に新時代人間に脱皮しておくことが肝要!! 古典を通して考える【自由と資本主義】講座に参加して
2009.12.24慶應丸の内シティキャンパスでは6回に渡って「論語」の講義を行ったが、その間に隣りの教室で行われていた菊澤研宗先生(慶應大学教授)の講座に参加して、「東洋思想から見る仕事観・労働観」というテーマでお話をした。とても良い機会であったのは、もう一度原点に戻って企業倫理について考えることが出来たからである。その感想を一言でいえば「日本は淒い資産を持った国だ」ということをつくづく感じたものである。 儒家の思想の経済思想は、有名な管仲の政治にあり、「菅子」の冒頭を飾る名文「牧民第一」の「倉廩(りん)実つれば、則ち礼節を知り、衣食足れば、則ち栄辱を知る」に始まる。 孔子よりも200年近く前 BC730年頃の人である管仲にして、それから2500年後の渋沢栄一と同様に「経済と道徳の合一」を説いているのは驚きである。 更に原始仏教における在俗信者に対する教えに「財の尊重、業務に関する精励、穀物、財宝、栄誉、名声、安楽の集積」を命じているのも、いまさらながらに社会確立の基盤として経済及び経済活動の絶対的必要性を説いていること。 つまり儒・仏ともに経済重視がその根本に存在することの意味について、改めて考えさせられるものがあった。 大変興味深い探求の糸口を与えられたこの僥幸を活かして、今後も一層精進すべきと思った次第であります。 いま私が思うこと「教育改革とは何か」
2009.12.01「有教無類」という言葉が論語に出てくるが、考えてみればこれほど恐ろしい言葉はない。「教え有りて類なし」とは、人間の様々な格差は、いつにかかってその人が受けた教育によるというのである。それでは教育とは何かといえば、「天命之謂性、率性之謂道、修道之謂教」という。人間が生まれて来るについて天がそれを了承し、それではと持たせてくれたのが性、これ無くして人間にあらずというものである。人間性といっても良い。理性といっても良いが、我々漢籍を読んで来た者は「性命」という。生命と天性である。この生命と天性が宇宙の根源と唯一つながっているものであるから、これこそ真に大切にしなければいけないが、現代はこんな重大なものを軽んじている。これこそが現代の教育の弊害であろう。先に進もう。その人間である証拠というべき人間性に従って生きることを「道」という。道理といっても良い。道義といっても良い。人道といっても良いが、人間生きていく上での根本である。この道を修める。つまり修得するとは、体得すること、いつ何時であろうと自分から離れることの無いまでに血肉にすることをいう。これを教育というのである。これが人間の教育の基本であり、第一歩であるとして、江戸期の家庭教育、学校教育はこの徹底から始まったのである。何故いまこれを教えないのか。戦後は既にこの理念はない。戦争中は勿論無い。したがって、こんな事を知っている人がいないから議論にもならない。だから無い。無いからいまこうしている時も誰も子どもに教えていない。実に恐ろしいことなのである。人間としての基本を教えられることなく、なんとなく大人になってしまっている人の社会、無規範社会の恐ろしさを叫び続けて20年。いまだ援軍来たらず。孤軍の戦いを終えられる日はいつのことか。 |