■2010.08.30自然に身を任せる(老子の教えより)■2010.08.05空(から)っぽの素晴しさ(老子の教えより)■2010.03.18「感謝は奇跡を起こす」(老子の教えより)■2010.01.19「もっと自由に、もっと自由に」(老子の教えより)■2009.12.25「止めたい時が伸びるとき」(老子の教えより)■2009.12.04「生きているだけで100点」(老子の教えより)■2009.11.27「褒められ続けた人生」(老子の教えより)■2009.11.26「楽しむために生きている」(老子の教えより) |
自然に身を任せる(老子の教えより) 2010.08.30うまく生きるコツはいろいろあるが、これなどはその中の本命といえるんじゃなかろうか。順番から言えば、まず自力をつけて、自力で何事もやろうとしなければ絶対にダメだよ。 他人依存や成り行きまかせは良い結果は絶対に得られない。 どんなことでもまずは、自力でやらなければ世の中が開けない。 これが第一。 次は、その自力、自分の力というものには、どうやら限界があることが解ってくる。 こうしてやろう、ああしてやろうと思惑をもってやっても、もの事はそうならない。 いやむしろ、そう思ってやればやるほど旨く進まない。 そこで登場するのが「自然の力」だ。 この世には、一杯にこの力が流れている。 この力の淒さといったら、例えようもない。 何しろ一刻一刻この力が働いてこの地球上の全ての生物を健全に成長させているんだよ。 こんなに淒い力はないんだ。 実は人間の実力とは、如何にこの自然の力を活用出来るかにかかっているんだ。 つまり実力とは「自分の力+自然の力」で出来上っている。 達人や真のプロといわれている人達は、実はこの自然の力を活用するのに長けている人をいうんだよ。 その理屈を説いているのが「老荘思想」なんだが、人間もある程度の領域へ分け入ると、ここが解からないと、全く実力が発揮出来ないことになる。 自力3分、自然力7分といったところか。 これが5分、5分だと、やはり旨く行かない事が起きる。 あのイチローからして、好調の時は、3分、7分なんだが、スランプの時は5分、5分になってしまっている。 おしい事だよ。 ここを知る事だよ。 さぁ、では自然の力を活用するコツとは何か。 ズバリいえば「自然に身を任せる」ことだ。 それはどうすることなのか。 「無私と無力」だ。 心の中の作為的、人為的な思惑を消し去って、そして全身の力を抜く。 空っぽの状態、肩の力を抜いた自然体の状態で、ここぞという時、ここぞという事に臨むんだ。 「無心」ということだよ。 無心になってそのことに取り組むんだよ。 するとどうだろう。 この世にある自然の力、例えば野球やゴルフでいえば遠心力や求心力がしっかり働くようになる。 ボールの流れさえも気の流れでコントロールが出来るかの様に思えてくる。 更にこの世の中に流れているいくつもの波に乗り、「波乗り」サーフィンの感覚で自然とスーと遠くまで運ばれて行くあの感覚が得られるんだよ。 こんな快適な状態は無いから、自然と喜びが身体の奥底から湧き上って来るものなんだ。 この感覚を持続させることは、なかなか難しい。 ちょっと旨く行くと直に欲が出てしまうからだ。 心と身体に力が入ってしまう。 これじゃ、自然の力も見極わめられないよ。 だから修業、修養があるんだ。 空(から)っぽの素晴しさ(老子の教えより) 2010.08.05自分の身体の中で調子の悪い臓器、特に痛みを感じる胃とか心臓などは、ここに胃がある、ここに心臓があると示すことが出来るものなんだよ。つまり痛みを感じるとか不調の臓器は自分でその場所を差すことが出来るんだ。 しかし、順調極まりない時は、何処に胃があるのか、心臓があるのかなどは、はっきりしない。 だから、はっきりしないことは良いことなんだ。 順調なものは曖昧なものなんだよ。 だから、最もひどい状態を言えば、例えば満腹だ。 腹一杯食べ過ぎた時は、身動きするのも厄介になる。 ただゴロンと横たわっているだけという情け無い状態になる。 更に苦しくなったり、気分が悪くなってしまう。 つまり「過ぎる」ということは人間を不自由にしてしまうほどの恐ろしいことなんだ。 これは、自分の身体ばかりじゃあない。 いま、手に持ったコップにいっぱいに水を注がれてしまうとどうなるか。 こぼすまいとするから、身体を動かすことも出来ない。 つまり、何事もこれ以上は入らないといういっぱいの状態などは、決して良いことじゃないんだ。 人間を不自由にしてしまう原因だよ。 では、どういう状態が一番良いのか。 それは「空っぽ」なんだよ。 まず、胃も空っぽの時が一番いい。 何故なら身体が軽い。 更に心も空っぽが一番いい。 何か心配事や悩みがあって、それで心がいっぱいになってしまうと、「心ここにあらず」、聞いても聞こえない。 見ても見えない。 つまり人間じゃない状態になってしまう。 折角おいしい料理などを食べても、味さえわからない。 これじゃ、料理が泣くというものだ。 だから心はいつも空っぽがいい。 空っぽにする秘訣を教えようか。 「欲張らないこと」だよ。 あれもこれもいっぱいに欲しいと思えば思うほど、君は「いい人性(せい)」を失い、「強欲人間性」の顔や姿に一変し、世にも恐ろしい人間となるんだ。 「いい人性」とは人間の善良な部分だ。 なるたけこれを発揮するように自分を仕向けることだ。 その為にも「空っぽ」が一番いい。 5月以来体調不良につき、このブログも休みがちでさぞ期待を裏切ったことでしょう。 その間多くの方々から励ましのメールを戴き、恐縮至極!! しかしそれがどれほど「元気の素」になったことか。 人間、やはり反応次第というところがある。 是非皆さんからの返信を戴ければ、この猛暑ものり切れることでしょう。 頑張ってまた、メッセージをお届けしたいと思っていますよ。 「感謝は奇跡を起こす」(老子の教えより) 2010.03.18![]() 「感謝」には確かに偉大な力がある。宇宙の根源「道」と通じる唯一の方法こそ、この「感謝」の気持といえるんだ。 私の周囲には、この「感謝」の気持で大病や難病を克服した人が何人もおるんだ。 こういう人の話は実に参考になる。 だいたいが何故そんな病気に襲われたかが問題だが、何とこれが全員共通しているから驚きだ。 その原因こそが「不平不満」だ。 こういう人達は皆こぞって最初は不平不満の固まりだったというのだよ。 何に対しても不平不満。 毎日の暮しにも、何を食べても、生きていることさえにも不平不満だ。 重要なのは、そういう自分、不平不満の自分に本人が気付いていないということだ。 じゃ何で気付いたか。 それが病気だ。 病気というどん底へ突き落とされて、何ということだと最初は嘆き苦しんでいるが、そのうち何故だ、何故こんな病気になったのかということになる。 よくよく考えてみれば、それこそ「不平不満」ばかりの自分に気が付いたというのだよ。 これはイカンということで、「不平不満」の反対を懸命にやってみようということになる。「感謝」だ。 何に対しても、何処を見ても、何を聞いても「有り難うございます」一点張りで暮すようになる。 するとどうだ、あれ程進行した病気が治ってくるじゃぁないか。 その「感謝」の力に驚嘆することになる。 一段と力が入る。 その結果、病気はストップした。 完治したわけではないが、進行がストップしたというんだよ。 これだ! これこそが「感謝」の力だ! 老子はこれを「足るを知る者は富(とむ)」といっておる。 何事にも感謝して満足をしている者こそが真の富者だ。 どんなに富んでいても不平不満では、それは富者とはいわん、というんだよ。 これは大切だ。 これこそが生きる指針だと若い時につくづく思ったのが、この私だ。 これだけは忘れてはいかん。 何か忘れない工夫はないものか。 そこで名案を考え付いた。 愛犬の名前にしたんだよ。 「富(とむ)」というのが我家の名犬の名前だ。 「富(とむ)!、富(とむ)!」 |