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いまこそ世界一を目差そう

2010.07.23

日本の財政が最悪の状態にあることは、承知をしていました。
しかし密接な関係の問題として認識をしていたかといえば、素直にそうではなかったと痛感させられたのが、瀬口清之氏(キャノングローバル戦略研究所)の講演でした。
瀬口さんは日本銀行で様々な活動をされ、中国北京の事務所所長を務められた方で、以前からその確かな監察眼と分析力、更に人間の強さと弱さまでを良く知った上での「経済解説」は、私の周囲では彼の右へ出る人物はいません。
それらの能力が一段と高められたのを確認させられる名講義でした。
その時勉強したことも加えて、私なりにいまの日本の財政状態を言えば以下の様になります。
最も解かり易い比較は、1990年と2010年を並べてみることだと瀬口さんは説かれています。
            収入     支出      残り
1990年       59兆円    26兆円     33兆円 
(平成2年)
2010年       37兆円    48兆円     11兆円の不足
(平成22年)

計数は大雑把なものです。
支出とは社会保障費と国債費です。
つまり20年前は33兆円の残りがありましたから、これをもって教育や道路をつくったり出来ましたが、今年は既にこの段階で11兆円の不足です。
誰が見ても、小学生でも、これは良くない、いや良くないどころか破綻に向って進んでしまうと思うでしょう。
不足が出た段階で何とか改善をと思うのが当然だと思うのです。
家計や企業の収支であればこのまま次の年度に入ることはありません。
何故か国は、何の有効な策もなく次々と借金をして、次の年へと入ってしまいました。
それがこの20年であったのです。20年間国の財政を担当した人々は、一体どの様な考えであったのか、その顔が見たいような気がします。
常識であればまず、支出を押さえます。
社会保障費が20年間で倍近くなってしまっているのですから、当然これを徹底して切り詰めようと思います。
が、しかし、いまだに、今回の参議院選挙でもここに関する見直しや減額は全く無かったのです。
今後も無いのです。
こんな無責任なことがあるかと思う人は、近くの国会議員を捉まえて、是非議論をして下さい。
真に自国に責任を持っている人物かどうかがその対応から、判然とします。
会社であれば随分前に倒産です。
ですから社長も社員も頑張って何とか建て直そうと身を削って、心血を注ぎ込んでこれを行うわけですが、企業がそうしても、その上の存在である国が、こんなに安易な経営をしているのでは、国が弛んでしまうのは当然です。
「借金はすればするほど恐くなくなる」ものです。
いまの国家経営者は全員この問題に対する解決策を早急に出すべきです。
さてもう一つの改善点は収入です。
20年前に59兆円あった収入がいまや37兆円に減ってしまっている。
会社であれば大問題です。
これこそ全国民一丸となって取り組むべき問題です。
そこで私は何としても提案したいのが、「いまこそ世界一を目差そう」。
日本企業の様々な領域分野で一つでも多くの世界一企業を生み出すことこそ、もっとも確かな日本経済再生案ではないかと思うのです。
詳細は次回に。
「体調不良からの脱出」

2010.06.29

3月以降様々な要因から急激に体調が悪くなり、5月の連休に集中的に様々な治療を施(ほどこ)して挽回を計るも、更に悪化し、膨満感と腰痛、風邪と疲労感等に悩まされて来ました。
老荘思想は「自然のまま」をよしとして、そのまま引き受けることと説いているので、これも何かの足しになろうかと日を送って来ました。
陰あれば陽あり。
禍あれば福あり。
霧も大分晴れて来たかの様に思います。
元気とは何か。
宇宙の根源「道」に通じることです。
そのコツがこの間の体調の悪化により、明確に把握出来た様に思います。
苦あれば楽あり、です。
イチローにもスランプありです。
スランプこそ更に一段高い境地を知らせてくれるものです。
ほんとに有難い。
「道」と通じるコツを一言で表現すれば「無」です。
一日の中で一回必ず、無の境地になって道と交通することが大切です。
この時間が実に心地好いもので、自分を忘れるからこそ、真の自分に気付く時です。
旨く生きるとは、この時間を保有し続けることでもあります。
人間が生きて行くということは、肉体の保持ということでもあります。
それは精神と肉体の一致ということでもあり、これがバラバラになってしまうのが病気という状況です。
「無」こそが、この精神と肉体を一致される唯一無比の善い方法です。
もう一段と「無」に向ってつき進もうと思っています。
その結果についてはまた順次報告を致しますので、相変らずお付き合い下さいます様、お願い致します。
「論語の一言」

2010.05.21

「どうせ××するのだから、楽しくやろう。」
 ××のところに、例えば食事、打合せ、仕事、出張など、好きなものを入れてもらいたい。
どうだろう、こうした精神を忘れてはいないだろうか。
 江戸期の人々は、実にこうした精神に溢れて暮していた。
「どうせ生きてるのだから、楽しくやろう。」
 したがって着るものも、「裏は花色木綿」であり、仕事の道具や用具にも、何か一つ心をほっとさせる文様などが施されている。
億劫がらずに楽しむ為に工夫する。
「楽しく暮さなきゃ損」こうした生き方の基本には「論語」の説く教えがあった。
「論語」は、楽しむ為には苦しさから去れといっている。
苦しい事を作らない生き方こそがコツで、様々なケースとその対処法が親切に示されている。
 人間が苦しむことの大部分は、人間関係のトラブルにある。
親兄弟はいうに及ばず、親戚縁者から、隣り近所の住人、職場の同僚、上司、部下、果ては小学校や中学校時代の友人に至るまで、揉め事、争い事のタネは尽きない。
 特に家族間、夫婦や親子の間は、一旦関係が拗れると問題は深刻である。
「骨肉相食む」という恐しい熟語もあるぐらいで、こんな問題を抱えていながら、楽しく暮すなど有り得ない。
 徳川家康が自分の治政を何とか成功させたいと思い、それは大方の国民が「自分は幸せだ」と思うことにあるとした。
そこで社会の基軸に据えたのが、「論語」を代表とする儒教である。
その象徴的人物が近江聖人「中江藤樹」で、藤樹は親孝行で有名であるが、骨肉の争いにならない最大の条件は、親孝行にある。
 まずこれであれば、親子間のいざこざは起きない。
更に孝行息子や娘の兄弟姉妹は、長幼の序が明確になるから争い事など生じない。
そうした家庭が多くなれば、嫁も孝行娘が来るだろうし、義父母に対しても孝行を尽す婿になるから、ここでも問題は起きない。
結婚による他家との結び付きもこの様であるから、トラブルは生じない。
 次に藤樹は「明徳」の重要性を説いている。
この本義は「自己の最善を他者に尽しきること」としている。
こうした精神が身に付いている人間に、隣り近所や職場の上司、部下、同僚との間に悶着など起きようはずはない。
結局、こうして「良い社会」が築けるとした。
家康の炯眼恐るべしであるが、その背後には「論語」の教えがある。
 現代日本社会ほど暮し難い場所はない。
親族は他人の始まりだし、他人を見ればドロボーと思えといわれる。
何事も「効率」一点張りの世の中で、楽しんで仕事するなどという余裕はない。
時間は稼ぐ為にあるといわれ、寸暇を惜しんで金儲けに狂奔し、同僚との売上げ競争に一喜一憂する。
稼いだ人間が勝者といわれ、稼げない人間は敗者といわれる。
この様に金銭物質至上主義の社会の真っ只中に生きているのが、我々現代日本人なのだ。
 そこでどうするか、である。
いまのまま、死ぬまで勝者敗者の争いの中で生きる社会を宜しとするのか、人間らしい暮し、「どうせ生きているのだから、楽しくやろう」が手中に出来る社会にするかだ。
その選択をすべき時がやって来る。
その時の為、家康が理想の社会を求めた「論語」を、しかも現代の様々な問題の解決策を求めるという視点で語っているこの本を、読んでもらいたいのである。