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<緊急発言> 「コロナショックに学ぶべきこと」(その2)   ― アフターコロナの重要性 ―(改訂版)

2020年5月15日

緊急発言】
  
「コロナショックに学ぶべきこと」(その2)
   アフターコロナの重要性 (改訂版)

   

私は2000年に入ってから今日まで「われわれは大転換期の真只中にいる」として、積極的な転換の必要性について様々な機会に皆さんに訴えてきました。
特に今年は、その転換期の極点、頂点の年(Singularly-Point)でありますので、今年初頭から、メルマガで「時代の新しい流れ」として具体的な転換の考え方について述べてきました。
そこへ襲って来たのが「コロナショック」です。
転換の必要は解かるが、どうやるべきか、ゆっくり考えてなどとグズグズしていたというのが実態であったと思います。
それが有無をいわせず、強引にして強圧的に一挙に転換せざるを得ない状況に引っ張り込まれてしまったのです。
何しろ生き方から日常生活までを変えなければ、生きていけない切迫した状況になってしまいました。
 
そこで転換の要因ですが、そもそも問われていた「時代の要請」による転換があります。
この世は、「転換 → 成長 → 安定 → 転換」のサイクルが廻っており、これにより転換を要求されています。
そしてもう一つ「コロナショック」による転換があります。
この両者の転換要因を熟慮して実施しながら、手直しをしつつ歩むことが大切です。
 
◎時代の要請による転換
近代西洋思想の行き詰まりが訴えられてから久しいものがあります。
人類社会の規範、基準である近代西洋思想がその役目を終え、転換を要求しているのです。
変わるべきものとして世界の碩学達が主張しているのが「東洋思想と西洋思想の知の融合」です。
人間社会を構成している全ての分野で、東洋で培(つちか)われた知見と西洋で培われた知見を最大限融合し、その両方の特性を活用した第三の解答を求めていくことです。
江戸時代きっての思想家 佐久間象山は「東洋道徳、西洋芸(技術)」と主張しましたが、まさにこの考え方です。
陰陽論でいえば、根幹へ向って追究、探究していく(陰)のが東洋の考え方、枝葉へ向って花をつけ、実をつけることに卓越している(陽)のが西洋の思考で、この両者を巧みに融合させることにより、樹木はより良い状態を維持出来るのです。
東洋思想はどちらかというと内面思考、内面重視ですが、西洋思想は外面思考、外面重視であるというように、相互補完関係にあります。
つまり東洋の知と西洋の知が対立し競争する時代から、共存共生する時代になったのです。
地球上の難問題をこの様に「東洋と西洋の知の融合」によって解決していく時代になりました。
 
◎コロナショックによる転換
われわれは今回のコロナショックによって何を経験したのかといえば「生命の危機」です。
これはしかも富貴貧賤、社会的なポジションも貧富の差も無く、「人間であれば」という条件で襲って来ました。
私は25才の時、まさに生命の危機に直面し、その後も大きな障害を背負って、常に生命というものを感じる立場にありますから、良く解かりますが、この「人であれば」感じている「生命の危機」、それも何気ない日常の生活の中で、ごくごく親しい人からも、それは襲ってくることの経験は、生きる姿勢を変えることになります。
人間の根本である「いのち」ということを常に背景として暮すことになりますから、もの事に対する価値観が変わることは必然です。
つまり「より本質的なことを求め、より本質的なことに生きる意味を求める」ことになるでしょう。
一方「より楽しく、自分が最も楽しくなる時間を求めて生きる」という側面も出て来るでしょう。
したがって、本質的に生きようという人々が増加する一方、快楽主義に陥る人々も増えることでしょう。
 
人間関係の取り方も随分変わることになります。
知り合いが多い、顔が広い式の付き合い方は、何しろ人に接触することに慎重になるわけだから、激減します。
貴重な一人を得られるかどうかになりますから、他人と会うこと自体が真剣勝負ということになります。
したがって、まさに「一期一会」の機会尊重ということになり、一回の面談でどこまで自分を理解してもらえるかが問われることになります。
つまり「その一言が意味を成す」時代になり、頻度は少なくなるが、印象はより深くなる。
つまり「深い心の交流」を人々は求め出すことになります。
となると、「自己の人生哲学や思想性」が問われ、「印象に残る一言」が問題になることになります。

  
◎改めて「いのち」を思う時
東洋思想の根本には何があるかといえば、それは「いのち」があります。
したがって東洋思想は、「いのちの思想」ともいえます。
イデオロギーも、宗教も下位の概念ですから、“どうぞご自分の好きなように”といって、イデオロギーや宗教で生命の奪い合い(戦争)などすることは原則としてありません。
  
では、その「いのち」は何処にあるのか、といえば、生きているもの全てにあります。
したがってこの思想に徹すると「生きていること」そのものを見詰め直すことになります。
まず、生まれてきたこと。
調べればしらべるほど奇跡の連続によって生まれてきたことを知ります。
改めて何と自分は運が強いのか、と。
感謝せずにはいられません。
そしてこの年まで生きてきた。
何かに守られていなければ、そうしたことにはなりません。
神とか天とか道とかいう絶対的存在に、改めて感謝です。
と思うほど、「生きてるだけで100点」の感情が沸き起こり、生きてることだけで充分、有難い、感謝です。
では、生きてるとはどの様な状況をいうのでしょう。
それは、「感じること」なのです。
喜怒哀楽を感じることなのです。
しかしここに一つ仕掛けがあって、喜怒哀楽は、生きてることを実感する為にあるものなのですが、とかく直に囚われてしまいがちになり、喜怒哀楽に使われてしまうようになります。
使われやすく出来ているのは、より深く、より冷静に、より実感として生きてることを感じて欲しいから、丁寧に扱ってくれとして、この様な仕掛けになっているのです。
生きとし生けるもののいのちを感じるほど「草木国土悉皆成仏」地球さえも生き物として認めるようになります。
更に、よく言う「このもののいのちは」も同じことで、「刀は武士のいのち」などといい、もっとも大切なものをいうのです。
したがって「いのち重視、尊重」で生きると、この世のもっとも大切なものを発見するようにもなるのです。
人間同士の対話は、「いのちといのちの対話」ですから、例えば商品を売るにしろ、「この商品のいのちは何なのか」を良く知り、明確にして、この商品のいのちはここですというメッセージを買い手のいのちに対して訴えかけなければ真の対話は成立しません。
コロナショックで学ばざるを得なくなったことこそ、この「改めていのちを思う」ということなのです。
そう思えば生き方が変ります。
家族のいのちを思い、友人のいのちを思い、同僚、部下、上司のいのちを思うようになりますから、そこに「慈(いつく)しみ」が生じ、「仁」が生じ、「気遣い」が生じます。
新しい人間関係が自然に生れるのです。
これもアフターコロナの一つの在り方です。

 

田口佳史

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